ラジオで聞いたのですが、一説に赤穂浪士は生き抜けることを固く信じて討ち入りに臨んだとのこと。なぜならば、全く同じような前例があり、その時は彦根藩の嘆願が認められ、沙汰無しの上藩お抱えの身になったとのこと。ではなぜ判例がいかされなかったのか?それはちょうど元禄の年代をまたいで武を尊ぶ流れから文治を重視する流れにちょうど潮目がさしかかったからであるとのことでした。
今、政治というのか行政というのか、社会のシステムが潮目に差し掛かっているようです。どうも今まで実績をあげてきた名士はどんどん影響力が落ちて、
たとえば少々金に汚くても、おらが町に事業を持ってきてくれる人がいたけれど今は過疎化で苦しんでる地域の人たちはやりかたかえんともうあかんでと思い始めている。
国会議員さんより身近な市長知事に期待しようという感覚の地域も増えています。
大阪しかり、名古屋しかり地方からのトライ&エラーの積み重ねが今後の立法・行政即ち国の形(潮の流れ)を大きく変えていく気がしています。